なんらかの不安を抱える子を持つ親が代替療法に嵌らないために

この記事で述べます代替療法は、子どもの健康を損なうおそれのある理論や思想などを持っているものをいいます。
例えば、通常医療で提供される治療法を否定したり、効果の確認されていない療法を通常療法と置換させるようなもの、治療法が確立されていない疾病等からの回復を謳うようなものに限ります。その点をご了承いただき読んでいただければ幸いです。

何らかの障害を抱えていたり、慢性疾患に苦しむ子どもを前に悩まない親は少ないと思います。そんな親の心を利用して代替療法は接近を図ってきます。それは善意であったり、藁にもすがる思いを利用するものであったり・・・
過去記事では代替療法の問題点などを述べてきましたが、今回はなんで嵌ってしまうのだろう、出会う切っ掛けはどんなものだろう、どうして信用してしまうのだろうという事を主に考えてみたいと思います。

■出産前
代替療法に接する機会は子どもが生まれる前からあると思います。それは出産場所の選択でしょう。
自分らしい出産、一大イベントは自分の拘りを・・・と、実施しないまでも一度は考えてみた方は多いのではないでしょうか。
助産院での出産や自宅での出産そのものは代替療法ではありませんが、オプション的なものとして代替療法を奨めているような場合が多く見られるからです。代替療法を試そうと考えていなくても、相手から奨められるままに採り入れてしまう事もありそうです。例えば、ホメオパシーを実施している助産施設に於いて、K2レメディーというものをケイツーシロップ代替品として処方される例があります。この事で切っ掛けで子どもが健康を害する確率自体は低いかも知れませんが、危険な頭蓋内出血のリスクを高めてしまう行為と考えられます。
また、助産院の場合、出産後も助産師からの援助を受ける機会があると思うのですが、育児や健康についての不安が発生した時に、代替療法が奨められる事が予測されます。母乳の出が悪いときには、油物はダメという根拠不明の考えに基づいて玄米菜食(マクロビ食など)を提案する助産院もあるようです。

■出産後
生まれた子供が大きな苦労もなく元気に育っていれば代替療法を求める切っ掛けも少ないでしょう。子どもが難治性の疾患を持っていたり、障害を持って生まれていた場合などが代替療法に接近する(してくる)要因になりそうです。難治性の疾患には適切とされる治療法を行っていてもすぐに良くならないでしょうし、先天的な障害であれば、簡単に治るモノでもありませんし、治療法が見つかっていないという事も多いからです。
目の前で子どもが苦しんでいる、苦労している姿を見て何もしない若しくは、有効な手だてを打てない状況というのは、親にとって本当につらいものです。何か良い手が有るのではないか、何か出来ることはないだろうか・・・何もしないで居ること自体が苦行となります。何も出来ない自分を責めてしまうのです。たとえ効果が不明でも『もしかしたら』と、手を伸ばしてしまう心情を非難することは出来ないでしょう。

■保育園・学校などで
病気などのトラブルで困っていたとき、仲良くなった保護者の方から奨められることがあります。純粋な善意だったり、同じ治療を行う仲間をつくって安心したい為だったり動機は様々ですが、親切心を前面に出されると断ることが難しくなります。我が家の場合は、保育園自体が代替療法に極めて積極的という特異な状態であります。園の方針に逆らうことはむずかしいですよね。

その他にも様々な切っ掛けがあるとは思いますが、とりあえずこのくらいで・・・。次にどうすれば前述した代替療法への接近を回避することが出来るのでしょうか?場面事に考えてみたいと思います。(自分だったらに置き換えて考えていたりとキモイですけど我慢してね)

■出産前の心境
自分が妊娠した状態を考えてみよう・・・ううん、自分の体が今までと同じように動いてくれなくて生活が制限されますよね、食事なんかも制限されるし、大好きなお酒はもってのほか!そう言えば、妻はアルコール摂取をあまりしないヒトでしたが、妊娠中は無性に飲みたがっていたっけ・・・。
そうした生活の制限だけでなく、社会活動も制限されます。周産期が近づけば仕事を休む必要があるでしょうし、出産後の復職にも不安を持つでしょう。そうした様々な制限が課せられる状態では、自分らしさというものに憧れる心情というのが生まれても不思議はないと思います。少なくなった選択肢ですから、その決定権ぐらいは自分に!と考えるでしょう。
そして、その向かう先は自分らしい出産というワケです。妻の場合は長男出産時、町の産院を選択しました。小綺麗な施設でした。選んだ理由は、やっぱり清潔感と口コミの影響が有ったようです。
私はその産院で産むことに全く反対しませんでしたが、それは上記の理由からです。制限された生活にさらに制限を加えるようなことをしたくありませんでした。幸い、当該産院は代替療法のダの字もありませんでしたが、もし、そういう方針であったとして私は反対できたでしょうか?
ところで、自然な出産、自分らしい出産を・・・というのは多くの方が要望としてあげる事が多いのですが、それよりも安全を最優先に考える方が殆どであると思います。実際の出産施設選択の結果では助産院や自宅出産を試みる方は全体の1%強という数字になります。その1%が多いのか少ないのかは判断がつきませんが、そのヒトにとっても安全は大前提と考えて良いでしょう。いくら自分らしい出産でも、子どもや自分の健康と引き替えになることを想定して選んでいるとはあまり思えないからです。
その1%の選択をされた方々は助産院や自宅での出産が安全に行われるものであるとの説明を受け、納得をされたから決意をされたのだと思います。ただ気になるのは、自宅出産及び助産院での出産を決意された方が、その場合のリスクをキチンと説明されていたか否か、ということです。本人の意思を尊重と謂いますが、大抵の妊産婦は出産に関わる経験がプロと比べものにならないくらい少なく、その危険性をキチンと認識しているとは考えにくいからです。妊産婦の思いを尊重する事を重視しないと自分の処(助産院)を選んでくれないのではないか、というキモチが働いてしまうことも考えられます。だって、意思を尊重してくれる事自体が助産院での出産介助を求める理由だと考えるからです。(助産院がアロマとか○○体操とか料理教室などを開催しているのはその証左でしょう)
→総合病院やある程度の規模のある病院は効率と安全を追求しており、主体的に選ぼうとする母親のニーズを完全には汲み取れないのが普通ですから、母親のニーズを積極的に採り入れようというのが助産院の経営戦略となるのは致し方ないところかも知れません。

■出産前に関われること
生活に制限が加わることで、主体的に選ぶことを求めるようになるのは仕方がないと思います。他者がその選択に疑問を呈した場合、アドバイスを受け入れる態勢があるか否かが一つの分かれ道になると思います。その為に大切な事は制限が加わった生活でストレスがたまってしまわないよう、配偶者や周りの方がしっかりお話を聞いてあげることだと思うのです。そして、必要ないプレッシャーを与えないことだと思います。『妊産婦は○○を食べると子どもが○○になるから云々』というような根拠無い言説でさらに縛りを増やすような事を避けるだけでも違うと思うんです。ある程度余裕を持ってゆったりと出来れば、聞く耳をもてる事もあると思いますから。
もう一つは、自治体が実施するような母親教室・父親教室などで、妊娠・出産にまつわるリスクをキチンと説明することですね。その中に代替療法の評価や危険性なども説明されていく必要性があるような気がします。少子化で困っているというのなら、それくらいやって欲しいなぁ〜、と思います。代替療法ではケイツーシロップや抗菌薬、予防接種の代替は出来ないことを明言して欲しいモノです。

■出産後のトラブルと心境
代替医療とは無関係の施設で出産したとしても、子どもが成長していく中で代替医療接触する機会があることでしょう。その機会は、子どもの病気などのトラブルで有ることが多いように個人的には感じております。また、代替療法でなくとも、母乳育児に極端に拘るような場合にも赤ちゃんの健康を損なう可能性があると思います。それについては、過去に幾つか書いておりますので、よかったら参考にしてください。
母乳への圧力
母乳への圧力2】 
トラブルが深刻であればあるほど、根本的な解決作が無いような場合に代替医療を利用する場合が多いように感じるのですね。再度自分に置き換えて考えてみます。
自分の子どもが原因不明の慢性皮膚疾患で苦しんでいたとする。そして、自分はそんな子どもに何もしてあげることが出来ない。その状況では自分の無力を苛むと思うのですよね。何もしてあげられない・・・と。苦しんでいる相手に何もしてあげられないというのは本当につらいですよね。そして、自分一人で対処しなくてはならない場合を考えてみると、心の弱い私であれば、絶望をしてしまうかも知れません。こんな状況の時、誰かが手をさしのべてくれたら、喜んで手をとってしまいそうです。例えもう片方の手に代替療法を抱えていたとしても
片方の手に携えた代替療法に懐疑的であっても、その事を臭わせたら、援助者が去ってしまうのではないか、精神的に追い詰められたヒトであれば、そんな不安を持っても不思議はありません。
では、不安で堪らない親御さんを代替療法などに向かわせないためには何が必要なのでしょうか。その一つは、不安で堪らない状態を少しでも緩和してあげる事では無いかと思うのです。

■出産育児は母親が担うものという圧力
以前よりは緩やかになってきているとは謂うものの、子育ての主役は母親であるという認識は未だ強いと思います。このような風潮も危険な代替療法を利用する切っ掛けになっているような気がします。3歳児神話はその一つだと思うのですよね。
3歳児神話は簡単に謂うと、3歳までは母親が積極的に関わらないと、子どもの成長になんらかの悪影響を与えるといったような考え方ですね。最近は否定的な意見が多く出されていますが、それでも世間ではこの考え方に影響を受けている方は多く存在すると思います。また、新聞紙上でも3歳児神話に肯定的な意見を採用した母親の役割の重要性を説く記事内容が掲載される事があります。(この話はそらパパさんのブログに纏まっておりますhttp://soramame-shiki.seesaa.net/article/148395530.html
【子どもの育ちが悪い、何らかのトラブルを抱えている→母親の関わりが十分でなかった】
このような暗黙の了解事項が成立している状況では、母親に必要以上の大きなプレッシャーがかかる事になります。周囲の方は責めるキモチが無かったとしても、知らず知らずに母親を責める言動をしてしまうこともあるかも知れません。
子どもを置いて働きにでたから、子どもに十分関われなかった。だからあのように育ってしまった・・・などなど。母親は必要以上の罪悪感に悩まされて居るんです。
身の回りに自分の事を理解してくれる(様に見える)ヒトが居ない状況では、不安に苛まれる母親は誰を頼ればよいのでしょうか?優しく手をさしのべてくれるヒトを頼ってしまい、結果的に判断を誤ってしまうような事態が生じるのはこうした状況から生まれていると思うのです。
辛い状況を一人で悩ませるような状況を作らないというのが本当に大切だと思います。精神的に追い詰められた状態で、正常な判断をしなさいというのは暴力的にヒドイ話であると思うのです。例えば、悩む母親が藁を手繰って見つけ出したような療育でも、傍らに冷静に評価を出来るヒトが居れば嵌り込むことも無いと思うんですよね。でも、冷静な判断をするヒトが居たとしても、育児参加の著しい不均衡があれば、悩む母親は素直にその意見を受け入れないなんて事もあると思うのです。
だから私は、『子育ては母親の役割である』考え自体がアヤシゲ業者や代替療法を呼び込む要因になっていると思うのです。不安商売は不安が大きければ大きいほど儲かるものですものね。

■とりあえずのまとめ
子を持つ親は様々な不安に晒されますが、それは一人で受け止め切れるモノではないと思います。夫婦であればお互いが助け合い、他の家族は必要なときに必要な援助を、そして余計なプレッシャーは与えないようにする。それだけでだいぶ違ってくるのではないでしょうか。
次に個人や家族単位では解決できない問題も発生してくるでしょうから、公的機関の適切な援助が必要になると思います。医療機関の多忙や空白地帯が有ることも関連していると思いますのでその整備がまず大切です。また、市町村保健センターなど相談窓口となるようなにはインチキ商売や、根拠の無い代替療法が蔓延っている現実が有ることを認識し、より実践的なアドバイスが行える態勢を整えて欲しいなぁ、という事です。
代替医療でもなんでも投資が大きくなればなるほど、後戻りする事は困難になります(サンクコスト)し、人間関係は簡単に解消できるモノではありません。代替療法に接近しなくても済むような状況をつくる事が大切だと私は思うのです。
代替療法を批判することも大切ですが、求める原因をなるべく少なくする事もそれ以上に大切であると考えます。


次回は、自分の経験や愚痴をかく予定です。