栄養のお話その②

【戯れ言】
栄養の話二回目です。読み物として見て頂きたかったので『栄養学』とはしなかったのだけど、キッチリすべきところは守らなきゃならないし、でも分かり易くもしたいところで、ホント難しいですね。(早くも弱音?)
ところで、栄養の話と題しておりますが、『栄養』っていったい何でしょう。漢字の意味から考えると、栄は元々『榮』と書かれていて、木が燃えさかる様子を表す文字だったみたいです。もう一つ養は『羊』『食』の合字であるみたいですね。ざっくばらんに謂うと、「エサを与えると、体の中でそれをぼーぼー燃やす事になり体が養われるヨ」そんな感じでしょうか。だから、栄養って食べることから始まり体内で燃やすことまでを取り扱う概念なんですね。(とは謂うモノの、元の漢字が持つ意味にばかり拘泥するのはよろしくないかも)

さて、そんな概念である栄養を扱う栄養学の話になるのですが、本を見るとこの学問は幾つかの分野をまたいでいるのだなぁ、という事が分かります。簡単に思いつくだけでも、医学、生理学、生化学・・・その他保健や食文化なども関わってきます。口に入れる活動と口に入ってからの代謝、その繰り返しで起こる体の変化、体の変化に対するアプローチまで、連続した一連の活動全てを扱う、それが栄養学なのですね。だから栄養学は全人的なアプローチなんですね。栄養学はホリスティック全体論的)なわけなのです。だからもし、どらねこがホリスティックな栄養学とかそれに類似した名前の主張を見かけたら眉に唾すると思います。彼らの謂うホリスティックはスピリチュアルやハーブ、代替療法を積極的に採り入れている事を意味しているのだろうと思います。これは栄養学にはあまり必要のない部分であるとどらねこは思いますね。
とはいうものの、一昔前にはあんまし根拠のない栄養指導が行われていたり、欠乏症ばかり気にしたり、集団のデータを個人に摘要しようとする事が見られていたので、そのイメージをもって批判する方がおられるのもある意味仕方が無いかも知れません。でも、栄養学だって進歩しているんですよね。今後説明しようと考えている、『食事摂取基準』はエビデンスを大切にしていて、栄養士業界でも食事摂取基準を個人に適用した運用ができるヒトを育てようとしているんだね。だから、栄養学の亜流なんて「今のところ出番は無いよ」と、思っていたりします。

【栄養状況の変化〜現代まで】
前回は戦前の食事摂取状況を見たわけなのだけれども、今回は主に戦後の栄養摂取の変遷を俯瞰してみたいと思います。
では、平成20年の国民健康栄養調査結果と過去の栄養素摂取量を比較をしてみましょう。
そうそう、過去の国民栄養調査はこちらから見ることができますよ!

適当な間隔になるように抜き出してみましたが、このデータを見るだけでも食生活の変化を実感することが出来そうかな。
一番大きな変化は、動物性食品をたくさん食べるようになった事による、動物性たんぱく質の増加と、脂質摂取量の増加でしょうか。その割にエネルギー摂取量の総量は減少傾向なのですが、それはご飯を中心とした主食を食べる量が減ったという事ですね。
後はカルシウム量も大きく増えていますね。これは牛乳を中心とした乳製品の普及がやっぱり大きいと思うのですよね。
戦後しばらくは足りないことを前提にした指導という形で栄養改善を目指していたのですが、今度はエネルギーの過剰摂取など食べ過ぎによる害が顕在化してきました。栄養改善から健康増進に大きく方針転換されたのですね。

この戦後の急激な食事の変化を指して『食の欧米化』と呼ばれることも有るみたいです・・・というか、ばっちり呼ばれていますよね。なんだか現在進行形でどんどん悪化しているような印象があるような気がしますが、この表を見る限りでは1975年頃には現在の栄養構成に近い形は出来ていて、その後脂肪エネルギー比は少しずつ増加し、近年は25%位でほぼ停滞しているのがわかります。寧ろエネルギー摂取量は減少傾向なのですよね。
どらねこはこの状況を勝手に『食の疑似欧米化』と呼んでいるのでいたりします。なんでかと謂うと、穀類の主食+おかずという形が崩れていないからです。欧米化!欧米化!なんて騒ぐ輩はいっぱいいるけど、コンビニやスーパーの惣菜コーナーを覗いてみようよ、おにぎりとかご飯がちゃんと入ったお弁当が並んでいるでしょう。ごはんじゃなくても、パンを主食にして食べているし。欧米化だったらごはんやパンもおかずの一つ扱いだものね。
主食を食べる習慣が消えていくようなら、その時初めて食の欧米化と謂えるんじゃないかな。
一応参考データを挙げてみますね。

これは食糧需給表から作成したモノなので、実際に食べた量では無いのが難点なのだけど、脂肪エネルギー比の指標としては参考になるかな。
このグラフには示してないけど、食糧需給表でもここ15年くらい脂肪エネルギー比は増えていないですよ。

話は戻りまして、生活面では体を使わない仕事に就くヒトが多くなり、運動不足が懸念される状況は続いているけど、エネルギー摂取量もちゃんと減ってきて居るんだよね。運動に見合わない食事をバンバン食べている状況ではないみたい。勿論、個人を見れば無茶食いしているヒトはいるけどね。
食の欧米化で生活習慣病が蔓延という印象があるような(広めようとしている方がいるような)気がするのですが、それはちょっと違うと思うのですよね。勿論、悪い影響もあることは事実ですが、寿命延伸にも寄与していると思うし、骨粗鬆症の予防感染症への抵抗性など良い面もいっぱいあるはずなんです。でも、所謂生活習慣病の蔓延ってなんとなく食生活の問題ばかりがやり玉に挙げられるんですよね。食生活の寄与も有りますが、著しい高齢化と産業構造の変化による運動量の減少というのが大きいと思うんですよね。
長寿命をもたらした戦後の公衆衛生及び食生活の改善はもっと評価されてイイと思うんです。

あと、こういった推移を見るときには注意しなければならない点があります。(これはよく聞く話だからミミタコかな?)
例えば、2008年の鉄の部分に着目してみると、それ以前に比べると大きく減っています。他の栄養素まで同じように減少しているのならともかく、そうでないのなら、調査方法や集計などに何らかの変更があった事を疑う事がたいせつですよね。こういうのを見て、「ほら、現代の日本人は食の欧米化や偏食で鉄分不足なんだ!」なんて言い出すヒトが昔は良かった系にはよくいらっしゃるので覚えておきたいところだと思います。
これは、食品標準成分表の変更と、それに伴う調査に使用するコードの変更が影響して居るのだとおもうんだ。調理コードとして、「ゆでモノ煮物」とか「焼き物」など実際に口に入れる状態に近い状態で計算されるように変更されたのですね。野菜を例に取ると、生に比べて茹でた場合にはビタミンやミネラルの損失が大きいことが知られています。この影響が大きい栄養素とそうでない栄養素があるのですね。
こんな風に調査方法を変えたら単純比較出来ないじゃないか!なんて、思っちゃいそうですが、より精度の高い栄養調査の為ですからしょうがないんですよね。だから昔の調査よりも信頼性は高いと考えられるのです。昔の調査結果で十分に摂取できているように見える栄養素が実際には不足をしていた・・・なんて事もあるかもしれません。
因みに、栄養計算に用いる成分表はこんな感じで変更されてますよ。

1947年 『暫定標準食品栄養価分析表』策定
1950年 『日本食品標準成分表』 策定
1954年 『改訂日本食品標準成分表』 策定
1963年 『三訂日本食品標準成分表』 策定
1982年 『四訂日本食品標準成分表』 策定
2000年 『五訂日本食品標準成分表』策定

ちょっとつまらない話になってしまいましたが、データを見るためには抑えておかなければならない事でしたので勘弁してくださいね。(勿論このデータだけでは読み取れない点はいっぱいある)

【今後の課題】
国民全体の課題であった食糧不足による栄養失調は経済成長により大きく改善することができました。経済状況の改善だけでは達成できないビタミンやミネラルの適正摂取は、食と栄養の知識啓発が一定の効果をあげました。これは国が主体となって行った健康増進運動の成果ですね。
専門家からはネガティブな話として引用されるような、「○○は健康にイイ!」という話も、国民が食と栄養に関心を持つようになった一つの証左といえなくもないかな。テレビ番組である特定の食品を大々的に採り上げた後、スーパーで売り切れ続出というのも、食への関心の現れでしょう。野菜は嫌いだけど、健康を考えて食べるようにしているよ、という方もよく見かけますものね。
全体へのアプローチじゃやっぱり限界がある。『脂肪は控えましょう』という言葉は運動不足の食べ過ぎ父さんにはイイケド、低栄養が心配される高齢者がやったら、大変な事になるかも知れないものね。
そういった関心を本当に必要な改善に結びつけるため、個人へのアプローチが今まで以上に求められるようになってくるのですね。
でも食べれば健康なんて簡単な話じゃないから苦戦はするんじゃないかなぁ。でも頑張らないとね!

■今回のまとめ
・栄養学自体がホリスティックだからホリスティックな栄養学みたいなのを標榜する方々には眉につばをしておきたい
・国民健康・栄養調査の結果を見れば、そんなに脂肪などの採りすぎが進んでいるわけでも無いし、栄養摂取状況が悪化していない。必要なのは運動じゃないの?
・食の欧米化は進んでいなくて、それは疑似欧米化です
・調査結果の経年比較は慎重に
・マッスから個へ

次回からは2章として、個別の栄養素について言及してみたいと思います。